2008年9月12日金曜日

9/12 Today マラトンの戦い (BC489)……奇しくも小泉自民大勝利の日(2005)

ギリシャ征服を目指してペルシャ王ダリウスは大軍を率いてギリシャのマラトンに上陸。迎え撃ったのは約一万のギリシャ重装歩兵(ファランクス)。絶対優勢を自負していたペルシャ軍はギリシャ軍の果敢な攻撃に前に大敗。勝敗の結果を伝えるためにマラトンからアテネのパンテノンまで42キロを駆け抜けた兵士ペイディピアデスは「われ勝てり」と叫んで息絶えた。これがマラソン競技の起源。

このマラトンの戦いの日に、小泉自民党も「われ勝てり」と言うことになった(2005年の郵政民営化選挙)。ご同慶の至りであったが、なんのための勝利かということが重要。戦争だったら勝ってしまえばそれで終わりだが、選挙は兵隊数の決定にしか過ぎない。増えた兵隊を使って、弱った敵を徹底的にやっつける本当の戦争目的を貫徹すべきであった。しかしご存じの通り、小泉改革は中途半端に終わり、続く安倍、福田には全くやる気がなく、大っぴらなサボタージュが続いた。小泉純一郎は、マラトンの戦いでの兵士ペイディピアデスのように、「われ勝てり」と叫んで息絶えてしまったのであった。

閑話休題。オリンピックのマラソン距離は 42,195 M と決められている。なんでこんな端数がついているのかというのが本題。

散人はずっとマラトンの野からパンテノンまでの距離を正確に計測した結果だと思っていた。でもそうではなかったようだ。

つまり最初のうちのオリンピックでは、コースの距離は40km前後であればよく、一定していなかった。1908年第4回ロンドン・オリンピックで、マラソンコースをウィンザー宮殿からシェファード・ブッシュ競技場まで42キロメートルと決めたのだが、あとで女王様が座る座席の前にゴールラインを置くのがいいとかの議論があり、ゴールラインをいじくったらしい。それで端数がでてしまった。

ところが1924年の第8回パリ・オリンピックから、マラソン競技の距離はすべての大会で厳密に同じであるべきだと誰かが言い出して、第8回パリ・オリンピック開催に先立ち、基準としてこのロンドン大会のコースを正確に計測した。それが42.195キロだった。以来公平を期すために、この中途半端な距離で競技を実施することに決まったとのこと。理屈っぽいフランス人のやりそうな事である。

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